2008年04月30日
■「天皇賞」当るといいね。

・・・ツーツーツーと電話。
――もしもし、CLUBの用事とは関係ないですが・・・。
――春の天皇賞ね。いいんじゃないの。
――バイヤー君は、昨年エリモ◎だったね。
――3200m走って、ゴール板だけハナ差遅れていた。
――今年も荒れますかね。
――いや、今年は順当な気がします・・・。
実力馬が順当に収まっていた「春の天皇賞」が、
大荒れのレースに変貌したのは2003年からである。
■2003年=3.17.0 ヒシミラクル角田7人気
【1人気武豊・2人気横山典牽制しあって届かず。大穴】
■2004年=3.18.4 イングランデーレ横山典10番人気7馬身差
【1人気武豊リンカーン後方で牽制し合う13着】
■2005年=3.16.5スズカマンボ安藤勝13人気
【1人気福永リンカーン後方まま6着】
■2006年=3.13.4R①ディープインパクト武豊1番人気 ②リンカーン横山典2人気。
■2007年=3.14.1 ①メイショウサムソン石橋2番人気 ②エリモエクスパイア福永11人気。
03年から05年にかけて、
馬単/三連複/三連単という新種「馬券」導入と連動するように、
レースは波乱の連続となったのである。
03年 馬 単 31770
04年 三連複211160
05年 三連単1939420
06年 三連単4320
07年 三連単306390
そしてこの間、共通の特徴は、人気馬が後方で牽制しあい、
スローな流れのままの決着となった事であった。
そんな04年05年。共に1番人気を裏切って大穴を演出したのが、
アドマイヤ夫人の持ち馬「リンカーン」号なのである。
「リンカーン」は大統領で、「天皇」ではないなどというオチまで付いていた。
06年とタイムだけ置き比べれば、04年はなんと5秒差、
はるか30馬身後方での決着という事になる・・・。
しかし、2006年ディープインパクトのレコード決着で、流れも変わる。
そしてポストサンデーサイレンスの07年は、
まれに見る、過酷なレースとなった・・・。
このようなスピード重視の、高速馬場では、
いっぽうで馬も、身が持たないであろう・・・。
そして、季節は廻り、今年も春の天皇賞となった。
TMオペラオーの血脈を受け継ぐメイショウサムソンの連覇に、
待ったを掛けるのが、サムソン包囲網を引くアドマイヤ連合軍であろう。
アドマイヤメインの大逃げで、ホクトスルタン、アサクサキングスを玉砕し、
さらにジュピタ、モナークと、一の矢、二の矢の追撃を図る。
・・・そんな絵図のとおりのレースになるかどうかはわからないが、
ここは、アドマイヤ軍団の優位な戦いを、じっくりと観戦しようではないか。
◎アドマイヤジュピタ ○ドリームパスポート ▲メイショウサムソン
△トウカイトリック △アドマイヤモナーク
【結果】3.15.01=順当。
1着アドマイヤジュピタ
2着メイショウサムソン
3着アサクサキングス
2008年04月27日
■ムニチパーレと言えば
■ヴェネツィア「フェニーチェ劇場」にて
――ムニチパーレと言えば、パヴァロッティがデヴューしたオペラ座ですね。
そんなところに行けるなんて、本当に素晴らしい。
私も、フェニーチェ座などとともに、一度は行って見たいオペラ座だと思っています・・・。
Takeshi Mogiさま。
コメントありがとうございます。
ブログをごらん頂きまして、恐縮しております。
確かにパヴァロッティは、1961年レッジョ・エミリアのテアトル・ムニチパーレにて、
「ボエーム」のロドルフォ役でオペラデヴューした、とあります。
しかし、今回の「旅の途中」は、レッジョ・エミリアの隣の隣町、
ピアチェンツァの、テアトロ・ムニチパーレの話でした。
同じ「市民劇場」=「Teatro Municipale」なのです。
――ミラノからの列車がポー川を渡ると、
リゾットになる水田地帯が続き、
やがてエミリオ・ロマーナの平原が拡がります。
「PIACENZA」=「PARMA」=「RÉGIO NELL´EMÍLIA」=「MÓDENA」=「BOLOGNA」
とローマ街道に沿って、いにしえからの美しい町が点在します。
それぞれの町は、掛替えのない文化と歴史の奥行きをもって、しかも静かに佇んでおります。
そしてどの町にも自慢の食材と、すばらしいコムナーレやムニチパーレ=市民劇場があるのです。
美味しいものを食べて、飲んで育てば、美しい声にもなるというものでしょうか・・・。
――パヴァロッティも程なく、ピアチェンツァのテアトロ・ムニチパーレでデヴューしました。
なにしろ隣の隣ですから。・・・その時のエピソードについて、
土地の人は、つい先日の事のように、熱く語ります。
しかし、そのエピソードについては、ここではふれません・・・。
ポルポラ(れんが)色の中世の町。
レッジョ・エミリアも、ほんとうに美しい町です。
訪ねたのは初夏の頃で、オペラのシーズンではなかったのです。
しかし、広場の噴水と公園に挟まれた、堂々たるファサードの、
歌劇場の内部の美しさは、
土地柄からも、容易に想像できることです。
また、ついでに言えば、
1996年1月29日放火で焼失した「フェニーチェ劇場」は、
2003年暮れに復元されて、NEWSで話題でした。
幾度も焼失し復活するこの劇場は、その名の通りまさに「フェニーチェ(不死鳥)」です。
フェニーチェ劇場復元のBOOK。
「LA FENICE=THE ARTISTIC RECONSTRUCTION=」を見ると、
「また火事になっても復元できる」・・・なんて思うほど、職人達の技術の詳細が記録されている。
そしてその総工費は9000万ユーロ(当時100億、いま約140億円)と伝えられました。
――日本では、どこの地方都市にもある、「箱物」2つか3つのお値段なのですね。
■紛らわしいので、あえて補足する必要を感じました。
何卒、ご容赦のほど。
2008年04月26日
■イタリアの旅の途中で

ポー川のほとり、人口10万程のピアチェンツァ。
週末の中心街は、羨ましいほど、行き交う人で賑っています。
大型店も車の乗り入れもない街路は、《人》と《建物》がおだやかに調和しています。
こういう人にやさしい地方都市の光景は、日本では消えつつあります。
繁華街をひとつ隔てた一角には、清楚なオペラハウスがあります。
テアトロ・ムニチパーレ(オペラハウス)。
玄関ロビーにはヴェルディの彫像。
――ヴェルディの出身はパルマだと思っていました。
――故郷ブセットはピアチェンツァとパルマのちょうど中間なのです。
この劇場ではヴェルディやトスカニーニが活躍し、
戦後はイタリアオペラを担った、
フラヴィアーノ・ラボーやジャンニ・ポッジという
偉大なテノールも生みました。
舞台では地元の人たちが、バレー公演のリハーサル中でした。
振り向くと絢爛たる客席。
「ファンタースティック!」と感激すると、
劇場のバルコニー席の照明を点燈してくれたのです。
200年前に市民が資金を持ち寄って築いた劇場には、
ピアチェンツァの人々の「夢」と「思い」、
そして地域の「誇り」がこめられていました。
――「200年前は、こんな感じ」と照明を絞ると・・・、
――そうだよね。劇場もまだランプの灯りの中だよね・・・。

■ところで、ピアチェンツアでも、
バールやリストランテの彷徨は、うれしいひと時でした。
なにしろ、エミリオロマーナ州は、
美食の迷宮なのです。
そんな街のBAR(バール)やリストランテの店先では、
自慢のワインボトルの一方で、
あちらの店でも、こちらの店でも、
かならず目立つボトルがありました。
それが「ABERLOUR」でした。
イタリアで人気のモルトは「グレングラント」とか、
以前読んだ記憶がそのまま残っていたので、
人気の「ABERLOUR」との巡り会わせは新鮮でした。
そこで帰って、さっそく「ABERLOUR」をCLUBの定番としたのです。
軽くて誰でも飲み易い「アベラワー」は、「グレンモーレンジ」とならんで、
以来人気のボトルとして定着しました。

2008年04月25日
■BAR(バール)に灯ともる頃

「BARに灯ともる頃」(エットーレ・スコーラ監督1989)はわたしの好きな映画。
今は亡き、マルチェロ・マストロヤンニとマッシモ・トロイージ共演の
「父と息子の不思議な関係」のキラリと耀く小品。
・・・イタリアの小さな港町、チヴィタヴェッキアで兵役につくミケーレを訪ねて、
ローマから父がやって来る。
暮らし向きの豊かな父の奨める仕事を拒んで、
息子のミケーレはひなびた田舎町に留まろうとする・・・。
1968年以前と以降。
イタリアにも、親と子の考え方に世代間のおおきな断絶があるのだ。
温もりの感じられる場末の「ピエトロのBAR」。
ミケーレはここの常連達の人気者だったのだ・・・。
■BAR(バール)とえいば、
イタリアでの楽しみは、朝のバールめぐり。
とくに地方都市では、
朝のホテルを飛び出て、旧市街のバールを、
何軒もハシゴするとじつに楽しい。
――カッフェ・ラッテ。
――カッフェ・マッキアート。(マッキアート=染み=ミルクを入れる)
――マッキアート・カルド。(カルド=温めた)
――ラッテ・マッキアート。(ミルクが主)
――ラッテ。
「コーヒー」に「ミルク」を注ぐから「カフェ・ラッテ」
「ミルク」に「コーヒー」を注ぐから「ラッテ・マッキアート」
卵が先か、ニワトリが先か、どっちでも好さそうなものだけれど、
これがまったく違うのだ。
そして、店ごとに、それぞれの作法があるから、また違う。
お店の数だけ、「カッフェ・マッキアート」はある。
BARバールの迷宮は際限がない・・・。
――今朝は、あそこの角の、あのバールが当たり。
なんて、冒険を始めたら、その街も去りがたくなるのがイタリアなのだ。

2008年04月24日
■アイラモルト入門

北国もようやく、花の季節を迎えました。
皆さん、お元気ですか。
昨夜のCLUBは閑古鳥・・・。
たまたま訪ねると、新人のMYULRさんが、ボトル磨きの最中でした。
――エライじゃん。お仕事お疲れさん。
前向きなMYULRさんですが、新人ですから苦労も多いのです。
――この間、ゲストさんに「お薦めは」って聞かれましたので、
「ハーイ」と、アードベッグをお出ししたら、怒られちゃいました。
――ウーン。どっちの言い分もわかるけど、はじめからカスクじゃね。
・・・そんな訳で、人気の「アイラモルト入門」の話となったのです。
――棚にある、CLUBの Islay Maltを一つずつ解説。
ちょうど、「ラガヴーリン16年」が空いたけど、
新着の「LHイラ・インスラ1993」をデビューさせましょう。
これ、中味はラガヴーリン14年のカスクで、
「ぶ厚いインパクト」が特徴です。
ラガヴーリンのボトラーズ物は、あまり出回っていないし・・・。
――「ブリュイックラディの1974」なかなか動きが、地味だから、お薦めしてください。
――ブリュックラディといえば、話題の「ポートシャロット」これも楽しみなボトルですね。
――そうそう、「ブナハーブン」の、今回のボトルは、人気があってよかったですね。



■ついでに、「アイラモルトの歴史」リスト貼り付けておきます。
――それでは、「アイラ入門」がんばってください。
(■無しはIslay's "lost" Whisky Distilleries.)
■1 Bowmore 創業1779 【CLUBボトル5種】
■2 Ardbeg 創業1794 【CLUBボトル4種】
3 Daill 創業1814
■4 Lagavulin 創業1816 【CLUBボトル3種】
5 Octomore 創業1816
6 Bridgend 創業1817
7 Scarabuss 創業1817
8 Bridgend 創業1818
■9 Laphroaig 創業1820 【CLUBボトル6種】
10 Ballygrant 創業1821
11 Tallant 創業1821
■12 Port Ellen 創業1825 (1983 Closed)【CLUBボトル2種】
13 Lossit 創業1826
14 Mulen Dry 創業1826
15 Lochindaal 創業1829
16 Ardenistle 創業1837 1836?
■17 Caol Ila 創業1846 【CLUBボトル2種】
18 Freeport 創業1847
19 Kildalton 創業1849
20 Islay ? 創業1852
■21 Bunnahabhain 創業1880 【CLUBボトル1種】
■22 Bruichladdich 創業1881 【CLUBボトル2種】
23 Malt Mill 創業1908
24 Newton 創業1819
25 Aredmore 創業1817 (Lagavulin2)
26 Killarow ?
27 Glenavullen 創業1827-32
28 Octovullin 創業1819-19
29 Upper Crgabus 創業1841
30 Torrylin ?
■31 Port Charlotte 操業2007(ブリュックラディで操業開始)【CLUBボトル1種】
■32 Kilchman 操業2005
(参照:H.Charles Gray「Scotch Whisky Industry Record」等による)
2008年04月22日
■命の水の苦難

ながい時間の荒波を潜り抜けるように、オークニー島には多くの伝説が生きている。
出来事を忘れ去らずに残してゆく、「文化」の蓄積がある。
それは、語るべき「場所」と、語るべき「人」と、
そして潤滑油のような、旨い「酒」があるからなのであろうか。
こんなに小さな島なのに、
「ハイランドパーク」「スキャパ」という、
個性豊かな、二つのウイスキーが存在する。・・・(4/10)
――今夜は、そのオークニー島で生きた、ひとりの詩人の掌編から・・・。
■命の水の苦難
最近クオレイのウイスキーについていろいろ言われているが、
本当のところ、その島には何種類かの違ったウイスキーがあった。
シーターのトムのウイスキーは、のどを通る時ブローランプの炎のようだった。
そのわけはシーターにはウイスキー作りの伝統が無かったからだ。
トムはあちこちから技術的な知識の断片をあさったにすぎなかった。・・・(中略)
だれもポール・ペイキーのウイスキーを飲む機会がなかった。
彼と(暗くてもてない)彼の三人の息子たちが自分たちで全部飲んでしまったからだ。
ペイキーの連中が酔っ払うと、前よりもいっそう陰気くさくなるので、
良質のウイスキーとは言えなかったろう。・・・(中略)
クオイレイでもっとも有名なウイスキーは、
恐らくビーナ・ビユーズという鶏の世話をする女が作ったものであろう。
数世代にわたって歌い継がれたバラッドのように、
昔ながらの決まった、伝統的な製法に従って作られた。それは・・・(中略)
ヴオーズのティンカーたちもウイスキーを作った。
それについては話さないほうがいいだろう。何の容器も使わずに、・・・(中略)
ノア・フォルスターは教養ある人々の問でたしなまれるウイスキーを作った。
地主はキーリーラングのピートの香りがするといった。
教師のシユワード先生はクオイレイの穀粒の持つローム質の独特な味わいを探し当て、
一口含むごとに収穫の黄色い波のように舌に打ち寄せる・・・(中略)
ある朝、スウェイン・ジョンストンは納屋に入り、蒸留途中のアルコールを小川に流し、
大きなハンマーを取り出して、銅製の蒸留器を順次たたいて光沢の塊にした。
・・・(中略)
間接税担当官が山の方にやってくるのを目にしたからであった。
それは間接税担当官ではなく、新任の牧師であることが分かった。
スウェインは家に入り、新任の牧師とお茶を飲み、
政治と天候について一時間丁重に話をした。
その日以降、彼は決してウイスキーを作らなかった。
小川のアヒルは一過間酔っていたそうである。
耳の聞こえないチェックのウイスキーは好ましい味をしていたが、
いつもあまり寝かせないうちに飲まれてしまうのだった。
「極めて古いオークニーウイスキー」
とチェックは土曜の夜にやって来る農夫たちに言っていたが、
実際は六、七週間しか寝かせていなかった。
それは冬の日差しの色をしていた。・・・(中略)
* * *
今日では、十字路のところに、
ダルキース出身のマクファーリンとかいう人の酒類販売認可の食料雑貨店がある。
その店で、島の人々は封印したボトルのウイスキーを、
一本二ポンド一シリング六ペンスで買っている。
【『愛のカレンダー』ジョージ・マッカイ・ブラウン短編集より。山田修訳
=あるば書房刊(2003)より引用】
ジョージ・マッカイ・ブラウンの掌編は、
いっけんして、ありふれた暮らしのエピソードのように見える。
しかし、じっくりと読むと、じつに味わい深い雰囲気が、背景に秘められている事に気付く・・・。
第一短編集「愛のカレンダー」の中から、
ほんの50行たらずの、掌編であるが、あえて中抜きして【引用】した。
何が言いたいのか。
是非ジョージ・マッカイ・ブラウンの「本」を読んでいただきたいという思いが一つと、
このように、昔はウイスキーも、漬物をつけるように、あちらこちらで造られていたという話が一つ。
そこに税金が絡んで、量的把握が必要となり、たまたま隠匿されて樽熟成を加える・・・。
そして長い「密造酒」の時代を経て、ウイスキーは熟成されて進化した・・・。
とは一般の本に書かれていることだ。
確かにそうかもしれないけれど・・・、ちょっと待てよ。という気持ちがある。
「密造酒」なんて呼ぶのは、「税金」を取り立てる側の呼称であるはずで、
「税金」でがんじがらめになっている、われわれが使う言葉ではないのではないか。
・・・なんて思いながら、グラスをかたむけ、
長い歴史の空白を、あれこれ想像したりしている。
(つづく)
2008年04月20日
■「私の食物誌」より

モルトウイスキーも、
ひと通りの経験を加えると、
ついつい固定のイメージが出来てしまう。
するとバイイングも、「何だか新鮮味がないなあ」と、
マンネリと背中合わせとなる。
しかし、そんな思いに駆られるときは、
かならず世間に出回っている魅力的な、
ボトルを発見する「時」でもあるのだ。
そこに、「酒」の世界の、不思議な奥行きがある。
伝統に偏りすぎず、トレンドに偏りすぎず、
それをうまくコントロール出来れば好いのだが・・・。
世間には旨い酒が、かならず在る。
素人でも、それだけは経験の蓄積で断言出来る。
たまたま、お目にかかっていないだけのことだ。
だから、CLUBの仕入れ担当としては、
素人なりにも、バイヤーとして現役を張るには、
自らのチェックを怠ってはならないのだ。
少なくとも、月に一・二度は、他のゲストのいない時間に、
CLUBでモルトと真剣に向き合う時が必要となるのだ。
そして、しばらくブランクのあるボトルの、特性などを再かくにんするのだ。
たまには、本棚の奥に埋もれている、若い頃読んだ、
茶色くなった文庫本などを、拾い読みしてみる。
そして、書かれていることの意味を、再認識したりしている。
■『私の食物誌』吉田健一著より
酒の味その他
例えば最良の年などということを言うのはひどく不景気なことのように思われる。
もし或る人間にとって或る年が最良ならばそれまでの年もその後もその年に及
ばないことになって、殊にこれから一生の間もうその年程の思いをすることはな
いのだというのでは生きていることの意味も先ずないのに近くなる。
それと同じことが酒に就ても言えるので、その上に酒ではそのことがもっとはっ
きりしている。これから先のことは知らず、もし今までのうちで或る時飲んだ酒が
一番旨かったならば、それはその時だけ酒を飲むべき形で飲んだのであって、
酒はもしそれが酒の名に価するものならばいつでも飲み方に気を付けるだけで
何ともかともという味がするように出来ている。
その何ともかともを言い換えれば何とも旨いということで、それは一番旨いという
ことであり、酒はいつでも今が一番旨いと思って飲むのでなければ嘘である。
又無理にそう思わなくてもそういう風に旨いのでなければならない。
大体、一番いいだの旨いだのというのがかなりみすぼらしいものの考え方を示
している。誰が自分の最良の年を目指して生きて行くだろうか。
(以下略) 【中公文庫1975刊189頁より引用】
2008年04月19日
■仰ぎて山を観れば

仰ぎて山を観れば、厚重にして遷らず、
俯して水を見れば、汪洋として極りなし。
仰ぎて山を観れば、春秋に変化し、
俯して水を見れば、昼夜に流注す。
仰ぎて山を観れば、雲を吐き煙を呑み、
俯して水を見れば、波を揚げ瀾を起す。
仰ぎて山を観れば、巍としてその頂を隆くし、
俯して水を見れば、遠くその源を疏く。
山水に心なく、人を以て心と為す。
一俯一仰、教に非ざるはなきなり。
仰観山 厚重不遷
俯見水 汪洋無極
仰観山 春秋変化
俯見水 昼夜流注
仰観山 吐雲呑煙
俯見水 揚波起瀾
仰観山 巍隆其頂
俯見水 遠疏其源
山水無心 以人為心
一俯一仰 莫非教也
――『言志後録』(155)佐藤一斎(1772―1859)
(日本思想体系46「佐藤一斎 大塩中斎」岩波書店刊1980より)

2008年04月18日
■トカチ・ローランド地方のミルク

■「想いやり生乳」
CLUBのモルトバイヤーは、北海道十勝地方の、
北部の士幌高原を「トカチ・ハイランド」。
中部の中札内・更別方面を「トカチ・ローランド」と呼んでいる。
先月は「ハイランド地方のミルク」の話題でしたので、
今月は「ローランド地方のミルク」の話題です。
■中札内村の「とかちレディースファーム」さんが、
4月から「想いやりファーム」と名を改めて、
いま世間では、注目を集めていることを、ネットで知りました。
灯台下暗し。
レディースファームさんの、
脱サラをして、理想の酪農業に挑戦する日々の苦労のお話を、
もう10年も前にお聞きした事があります。
牛舎の無菌化など、多くの課題にチャレンジして、
ひと所に懸命に留まり、
試行錯誤を繰り返したであろう日々を、ふと想った。
「想いやり生乳」
それは日本で唯一の加熱しないで飲める、搾ったままの生乳。
【無殺菌牛乳】なのだそうです。
ホモゲナイズドでもなく、ノンホモゲナイズドでもない。
まったくの「生乳」そのものの製品化。
「牛乳」ではなくて、「生乳」=おっぱいそのものだ。
だから「製品」といっても、「原料」そのままで、
そのまま飲める「環境造り」こそが、決め手となる。
世間の常識を覆す、この取り組みに、
注目が集まるのは、至極当然の事で、
すでに、全国の有名食品店・デパート、著名レストラン等で、
流通していることを改めて知ったのです。
さっそく、注文の電話をしましたが、
ちょうどTVで取り上げられた直後という事で、
需給のバランスが追いつかず、納品まで1週間待ちという事でした。
そして、届いた「牛乳」をさっそく味わったのです・・・。
当方は、単なる消費者であるので、
とても「滑らか」で「マイルド」な「牛乳」をゴクンと飲みながら、
「究極」という言葉を思い浮かべていました。
これは牛乳の「アルティメッドエディション」なのです。
・・・たかが牛乳、されど牛乳。
モノにはピンからキリまでがあります。
それを知らなくては、見えてこないことがあるのも、また事実なのです。
その点、「食」は分かりやすい。「経験」をすればよいのです。
日常の中で、この製品を味わうことは、経済的にも、まだ多くのギャップがあります。
しかし、大河の一滴の、ちいさな波紋が、やがておおきな変化を促す事もあるのです。
2008年04月17日
■「皐月賞」当るといいね。

・・・ツーツーツーと電話。
「もしもし、CLUBの用事とは関係ないですが、アソビの事でちょっと・・・」
「どうぞどうぞ。いいんでないの。楽しくやりましょうよ」
――皐月賞枠順決まったようですが。
松岡「マイネル」と、タケ「ブラック」が人気だけれど、堅く収まりますかねえ。
――お天気も微妙だし、スンナリ収まらないように思うな。
――バイヤー君はいつも「穴狙い」で、ホント懲りないですね。
――うん。マイネルにしても、三連勝は認めるけれど、四連勝目がクラッシックG1というと、
これは「歴史的名馬」だからね。なんか二着か、三着という事もアリかなと・・・。
――だいぶ迷っていますね。
――そうなのよ。タケ「ブラック」も豪快だけど、父がクロフネね・・・。
――ズバリ。応援するのは。
――◎は後藤「ジュピター」を応援します。○は大外蛯名「湘南」。
タケはタケでも柴田善「ミカヅチ」、そして横典「フサイチ」、気になる幸「霧島」へ。
松岡「マイネル」、タケ「ブラック」を抑えて、三連複で高見のケンブツ。
「1-4-18」「3-4-18」「4-9-18」「4-10-18」「4-16-18」
――ドングリの背比べという事ですね。
――そういうこと。人気差ほど、実力差はないと思うよ。
――「当たる」といいね。
――まったく、自信ないので、気にしないでネ。
――さて、皆さんは何を応援するのかな・・・。
――それでは、グッド・ラック。
【結果】2.01.7 上り35.2
良馬場とはいっても、時計かかっていますね。この10年間で2番目に遅い時計だね。
まだまだ、混沌は続きそうですね。
1着 6番川田 キャプテントゥーレ
2着 1番柴田善 タケミカヅチ
3着 9番松岡 マイネルチャールズ
4着 5番安藤勝 レインボーペガサス
5着 16番幸 レッツゴーキリシマ
6着 10番武豊 ブラックシェル
◎スズジュピター。四角まではよかったれど、
直線坂で止まってしまった。ダメでしたね。
○ショウナンアルバ。やはり気性が激しそうですね。
レッツゴー霧島の単も買って、惜しかったです。
2008年04月16日
■CLUB内同好会

■ここでお便りが・・・。
>前略、バイヤーくん。
>今日は本当に暖かいですね。
>もうすぐ帯広でも桜の開花時期になります。
>桜の下で、ゆっくりモルトを楽しみたいものです。
・・・という、ご要望にお答えいたしまして、
【RYU’S CLUB=新会員歓迎=「花見モルトの会」】
が企画されます。
桜の花の満開の頃の週末の夕方、
★フローラルモルトを封切しましょう。
「BEST MALT」を花の下で味わい、パッと「解散」する儚い同好会です。
是非、ご自由にご参加ください。
■続きまして、「麦秋」の頃は、
【麦見酒の会】
★一番「ゴールド」。黄金のモルトを味わいましょう。
■また、「月見」の頃には、
【お月見モルトの会】
★シブく「スモーキー」なモルトとなりそうです。
■また、紅葉の頃には、
【紅葉狩モルトの会】
★やはりシェリー系でしょうね。
■また、雪の頃には。
【初雪モルトの会】
★DRYでなくてはね。
・・・等々が企画されております。
詳しくは、その季節の、
RYU’S CLUB NEWSをご覧ください。
■ここで、お便りが・・・。
>・・・そうですね。
>たしかに日本は包装費かけすぎですね。
>このグレンリベットの箱もまた立派ですね。
>~ぜひほしいですヽ(´∀`)ノ
・・・・あっちゃー、捨てちゃったと思うよ。

■写真は【麦見酒の会】のイメージです。
2008年04月16日
■「グレンリベット」よ、永遠なれ!

――なだらかな丘陵地帯の、
紫色のヒースの丘に囲まれて、
グレンリベット蒸溜所があります。
「ザ・グレンリベット」は、
ナッツなどつまみながら味わうと好いでしょう。
BARには、ビル・エヴァンスなんか流れていれば、さらに結構。
と言うのは、わたしの個人的な嗜好・・・。
――昨日はCLUBへ新着モルトをダンボール一箱納入しました。
これが結構重い。なかでも一番厄介だったのが、
「THE GLENLIVET 21」=ARCHIVE= でした。
幾重にも、たいそう厳重梱包されていて、
シールベタベタ、さらに立派な木のフレームに収まっています。
――あー邪魔臭い。こういうのって如何と云う事無いのだよね・・・。
なんて思いながら、「お菓子」の過剰梱包をイメージして、
ぶつくさ納入したわけです。
ちょうど、やって来たCLUBの会員たちと、さっそく封切り。
皆さんこのボトルには、一様にとても満足しておられました。
――あー、よかった・・・。
――話は変わりますが、梱包といえば、
以前、京都からの贈り物で、「お茶」を頂いたときを思い出しました。
発送梱包を解くと、
お店のショッピングバックが現れ、
その中に、お店の包みがあって、
それを解くと、また梱包が現れ、
さらにそれを解くと、熨斗紙やら、綺麗なヒモにくるまれた、
本体の「箱」が現れ、その箱を開けると、
また内側の薄紙のような梱包が現れ、
それを解くと、その中に「お茶缶」があって、
その「お茶缶」も和紙に巻かれている・・・。
密封された缶を開けると、
さらに梱包された「お茶」が少々・・・。
こうして、ラッキョウの皮を剥く様に、
やっと「お茶」に辿り着いたのでした。
――いったい、なに考えているのだか・・・。

2008年04月13日
■水の旅人

十勝は温泉がいっぱい。
住宅地の中にも、クルマでちょっと遠出した山の中にも、
魅力的な温泉が点在する。
・・・ここは、十勝地方のある温泉の露天風呂。
残雪の山肌に響く小鳥の囀りを聞きながら、のんびりと骨休め。
仕事疲れの気分転換に、温泉はリフレッシュできる。
それにしても、
ニッポンは「水の国」だね。・・・と、ふと想うのである。
こんなに豊かに、「水」に恵まれた「国」も無いのではないだろうか・・・。
シングルモルトを廻って、歴史をちょっと齧ると、
あらためてそんな事を実感する。
「酒」を廻る旅は、「水」を廻る旅でもある。
「水」に恵まれたところ=「気候風土」に恵まれたところ=「豊かな土地」。
そこには「強力な国家」は出来ない、というか必要ない。
巨大な土木事業の必要性も、本来はないからなのだろう。
・・・・・・・・・・・・

・・・そんな事とは、まったく関係無い話だけれど、
最近読んだ一冊の本に、遅ればせながら、えらく共感した。
「水」をめぐる旅ではないが、
いまのニッポンをめぐる「本」の森をさまよって、
ようやく辿り着いたという感じの「本」。
・・・ぐちゃぐちゃに手垢に染まった「言葉」が、
ひとつひとつ洗われて、
その「言葉」の持つ意味本来の姿に再生されてゆく、
そんな出来事に立ち会うような、
・・・すばらしい「本」です。
■【ジャパン・レボリューション「日本再生」への処方箋】
正慶孝 藤原肇共著。
清流出版 2003年刊
2008年04月12日
■08春の新着情報。 その3

■「Arran」
しばらく品切れでした「アラン」の再入荷です。
「アラン/トレビアーノ・フィニッシュ56度」
「アラン/モンテプルチアーノ・フィニッシュ58度」
これにより、「Arran」は現行の
「アラン1998/アンバサダーカスク」とあわせて3種となります。

■お待たせいたしました。「BRORA」SVCS1981 25年カスク。

■「HAZELBURN」8年。
キャンベルタウン/スプリングバンク蒸溜所。
第三のシングルモルト。
1997年より生産が開始された、新しいモルト。
原料の麦芽にピートを炊き込まない3回蒸溜のローランドタイプ。

■「Port Charlotte」
ブリィックラディ蒸溜所から、
カリスマボトラー、トーマス・クリューガー氏のボトリング。
「ポートシャロット6年」
・・・是非ご期待ください。
2008年04月10日
■NEWコースター

【RYU'S CLUB発】
新調の「ミズナラカウンター」保護の意味も含めて、
CLUBで話題となった「コースター」について。
NOZU会員発注のNEWデザイン「コースター」が出来上がってきた。
さっそく写真にて、報告いたします。
あれ、写真は薄く撮れてしまった。
実物は、ブラックなカウンターにぴったりのブラックデザイン。
今宵も、「クール」にモルトを楽しんでください。

・・・というところでデンワ。
「桜花賞」枠順決まったけれど、何応援するの。
・・・それは、去年夏から決まっている
タケ◎ポルトフィーノ。どうだろうね。
・・・あれ、出走取消だ。
・・・それでは穴で、◎福永「エイム、あっと、ビップ」の逃げっ切りに賭けます。
・・・○リトルアマポーラ。▲トールポピー。
・・・△ブラック・エンブレム。△シャランジュの8枠へ。
「3-9-10」 「3-9-16」 「3-9-17」
「3-10-16」「3-10-17」「3-16-17」
【結果】
エイム、あっと、ちょっとで失速!
小牧レジネッタ/蛯名エフティマイア/後藤ソーマジックと突っ込み、
「15-18-13」三連単700万の大荒れでした。
・・・・・・・
2008年04月09日
■SCAPAの男たち

1998年9月10日。
――幾度か電話をしたけれど、連絡が取れない。
――それでは、行くだけ、いってみようか。
そんな感じで「SCAPA」蒸溜所を訪ねた。
町を離れると、すぐに入江が拡がり、蒸溜所が見える。
そこはスキャパフロウ。「SCAPA」というのは、この入江の名称だ。
穏やかな入江は、古代から、恰好の舟溜りなのだろう。


「SCAPA DISTILLERY」1885年創業。
テイラー&ファーガソン社。
静まり返って、人影も無い。
看板もなんだか錆付いている。
――様子が何かおかしいぜ・・・。
――おーい。誰かいますか~。
「おー、待っていたぜ」と何処からか、
三人の男たちが現れて迎えてくれた。
――やけにひっそりとしていますね。
――うん。いま「SCAPA」は生産を休止しているのだよ。
――そうですか・・・休止中とは、知りませんでした。
そうか、我々を案内するためにわざわざ来てくれたのだね。
案内された小さな事務所には、
「1996年金賞」の賞状が壁に懸かっている。


――それじゃあ、ぼちぼちゆきますか。
ローモンド型の特徴あるウオッシュ・スチルは、
倉庫のような建物の二階にあった。
窓の向うにはスキャパ湾が拡がる。
――この特殊なスチルが「SCAPA」の個性の源なのだね。
案内してくれる男の話には、熱い思いが込められている。
それはけっして、方言のせいばかりではない。


――それじゃあ、ウエアハウスへ案内しましょう。
「樽」から汲み出してくれたモルトは、
1973・1988・1990のバーボンカスク。
熟成されたモルトは、「オイリー」で、「スパイシー」で、
なんてその時思わなかったが、とにかく「旨い」と興奮した。
普段飲んでいる「ボトル」と別物のインパクトであった。
――ご親切ほんとうにありがとうございます。昼間から酔ってしまいそうです。


――わー、製造は休止しているけれど、等分の間、飲めるだけの「樽」はありますね。
――いや、この個性的なモルトが、このまま消えてしまうのは惜しいですね。
などと言いながら、「SCAPA」は、「バランタイン」の主要モルト。
という本の解説を思い出した。


「SCAPA」のもうひとつの特徴。ピートを焚かない。
と解説本に書いてある、その仕込み水を案内してくれた。
工場の脇には、その先ですぐに海へ流れ込む小川があった。
――リングロ・バーン。ウイスキーが無ければ、
名前さえ付かない、何処にでもある小さな湧き水だ。


曇り空の下で、眠るような静けさのスキャパフロウは、
20世紀の二度の大戦で、ドイツと英国の重要な戦略拠点となった場所でもある。
――第一次世界大戦末期。
降伏したドイツ軍は、Uボートの連合国側への流失を恐れ、
スキャパ湾で自ら41隻を自沈させた。
そして、スキャパ湾はUボートの墓場と化した。
――第二次世界大戦の1939年10月。
ドイツ軍のUボートU-47の攻撃を受けた戦艦「ロイヤル・オーク」は、
15分で沈んでしまった。
乗員1200人のうち、833人の命が奪われた。
いまでもスキャパ湾の水深27mの海底に、
戦艦「ロイヤル・オーク」は眠っている・・・。


目前のスキャパフロウは、この小さな島の、
歴史を象徴する「場所」なのだろう。
侵略者たちはいつも、この入江から遣ってきたのであろう。
それはバイキングであり、スコットランド王であり、
イングランドであり、フランスであり、ナチスドイツであった。
そして侵略者たちは、外的要因よりも、
むしろ内包する「自己矛盾」で、常に自壊して、島を去っていった。
5000年の長きにわたり、支配者が幾度変わっても、
オークニー島はいつも、オークニー島であった。
そういうオークニー島の人々は、自らを「オーケィディアン」と呼ぶ。


ながい時間の荒波を潜り抜けるように、オークニー島には多くの伝説が生きている。
出来事を忘れ去らずに残してゆく、「文化」の蓄積がある。
それは、語るべき「場所」と、語るべき「人」と、
そして潤滑油のような、旨い「酒」があるからなのであろうか。
こんなに小さな島なのに、
「ハイランドパーク」「スキャパ」という、
個性豊かな、二つのウイスキーが存在する。
――美味しい「酒」の出来る場所。
それは信頼すべき人々の暮す「場所」でもあるのだろう。
(つづく)
■その後しばらくして、2004年「SCAPA」蒸溜所は、生産を再開した。
2008年04月08日
■DVD「モルトウイスキーの故郷」

CLUBの仲間と訪ねた、秋のスコットランド。
1998年の9月の事だから、あれからもう10年の月日が流れた。
それはKAWATA理事長のアイデアで、
「モルトクラブ」が結成されて何年か経っていた頃だ。
「プラザ合意」で、ニッポンのウイスキー事情にも、
おおきな変化が押し寄せていたが、
まだ、シングルモルトファンは少数派であった。
帯広=羽田=横浜中華街で食事の後、
HOTELのバーで「ラフロイグ」を飲みながら合流。
成田=ロンドン=グラスゴー。
グラスゴーからインヴァネス経由でオークニー島へ。
そしてインヴァネスからスペイサイドの町へ。
途中二手に分かれて、グランピアン山脈を越え、
ダンティからクーパー近郊のマナーハウスでまた合流。
日曜(安息日)の朝の、
セントアンドリュース・オールドコースを散策して・・・
旅の終点は、エディンバラだった。
・・・旅馴れた、KAWATA理事長の完璧なコーディネートとアイデア。
いま、思い返してみると、ずいぶん中身の濃い「旅」であった。
ちょうど、デジタルビデオが発売された頃で、
馴れない「パスポートサイズ」を、たまたま持参していた。
使い勝手も解らぬままに撮って、帰ってきて、
寝転びながら、3晩かけてつなぎ合わせたのが、
「モルトウイスキーの故郷」(50分)だ。
シロウト映像はともかく、自慢できることは、旅の途中で買い集めた、
ハイランドカテドラル・アメイジンググレイスをはじめ、
スコットランドの名曲の数々を、画像にかぶせた事だ。
幸いけっこう好評だったので、やがてDVD化して限定5部作成した。
10年はあっという間に過ぎてゆき、
モルトウイスキーもすっかり身近になり、人気が定着した。
CLUBには、若い仲間もふえ、気が付くと、世代交代の年齢となった。
きょうも、おおくの旅人たちが、
われわれとおなじように、スコットランドを旅していることだろう。
そこで、10年前の記憶をもとに、忘れないうちに、
「オークニー島」を、気ままに語ろうと思う気持ちになっている・・・。
ビデオ画像を思い起こしながら、
まず語ることは、
「スキャパ蒸溜所の男たち」。
「ハイランドパークにて」。
そしてオークニーの詩人
「ジョージ・マッカイ・ブラウン」。
そんなところだろうか・・・。(つづく)

2008年04月06日
■襟裳岬にて

海と山に囲まれて、遥かに続く道がある。
あの山の向うには、なにがあるのだろう。
岬へと続く道の、幾つものトンネルを過ぎて、
やっと辿り着いたと思うと、道はさらにその先へ、続いているのだった。
このように、ニッポン列島のあちらこちらに、海へ突き出した「岬」がある。
「岬」は、行き止まりの場所。辿り着いた道を、引き返す場所でもある。
ここは、北海道の南端、「襟裳岬」。
本州の都会では、桜の季節のニュースで賑わう頃。
辿り着いた岬は、訪れる旅人もまばらで、誰も居ない。
海からの風だけが吹き抜けている。
この風は、何処から吹いて来て、何処まで吹いてゆくのだろうか。
遠く海の彼方を眺めると、水平線は確かに丸みをおびて見える。
太平洋に沈んでゆく岬の先端の岩礁。
その断崖の足元で、波間にゴマ粒よりも小さいものが浮き沈みしている。
よく見ると、それは「ゼニガタアザラシ」なのだ。
あちらでも、こちらでも、顔を出しては、また沈む。
その様子は、波間に変化する波紋を追いかけると、容易に見えてくる。
わー、その数はすぐに50を越える。
誰も居ないと思った岬が、なんと賑やかな事か。
♪~風は ひゅる ひゅる 波は ざんぶりこ
誰か わたしを 呼んでいるような
襟裳岬の~
■襟裳岬 島倉千代子 歌 1961年
(丘 灯至夫作詞 遠藤実作曲)
♪~北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やし はじめているらしい
理由のわからないことで 悩んでいるうちに
老いぼれてしまうから
黙りとおした歳月を 拾い集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です
■襟裳岬 森 進一 歌 1974年
(岡本おさみ作詞 吉田拓郎作曲)
・・・そうか、島倉千代子は半世紀も「歌手」であるのか。
それはじつにすごい事だ。大変な事だ。
しかしその偉業も、忘れ去られてゆくのだろうか。
・・・もうひとつの「襟裳岬」。
改めて、なんとすばらしい歌なのだろう。
「襟裳の春は 何もない春です」
そのとおりだね。
でも何もないのは、自分のアタマの中なのかもしれないね・・・。
健忘症のわたしに、岬の「歌碑」は、
過ぎて来た時を、思い起こさせてくれる。
そしてどういう訳か、幼い頃の「童謡」を口ずさんでいた。
♪~歌を忘れたカナリヤは後ろの山に棄てましょか
いえいえ それはなりませぬ
~~~
♪~歌を忘れたカナリヤは象牙の舟に銀のかい
月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す
童謡「カナリヤ」(詩・西条八十)

2008年04月04日
■「ノチーノ」クルミのお酒

■Nocino クルミのリキュール。Noce=クルミ。
北部イタリア、エミリオロマーナ州グラツァノ・ヴィスコンティは、
映画作家ルキノ・ヴィスコンティの故郷でもある。
中高年映画オタクは、物心ついてからずっと、ヴィスコンティ作品を忘れられない・・・。
そんなことをイタリアの知人に話したことがあるのだろう。
「文化交流」という事で、訪れた街では、
「ジャポネ、ヴィスコンティ城を訪ねる」というイヴェントにしてしまったらしい。
・・・あっちゃー。言葉も喋れないのに、いきなり、どうしよう。と思っていると、
翌朝ホテルには、すでに通訳と迎えのクルマが来ている。
そして30分程で「お城」へ到着すると、ふたりの紳士が出迎えている。
「チャーオー」と紹介されると、コムーネの長=県知事と文化担当者だった。
新聞記者たちも来ている。
珍道中もここまで来ると、為る様になれだ。
そして普段では入れない、お城の庭へ案内された。
後で解説書を見て解った事だが、お城を取り巻く、このグラツァノ・ヴィスコンティ村は、
1900年に、中世の町を模して造られたテーマパークでもあるのだった。
「ミラノからのデートコース」なんていって、日本の雑誌にも紹介されたりしている。
1900年といえば、「ヴェルディが死んだ」と始まる、ヨーロッパ激動の20世紀・・・。
ベルトリッチの映画のシーンを思い出せばよい。
・・・初夏の静寂に包まれたお城の庭園は、
彫像などにも蔦が繁茂していて、まるで「天空の城ラピュタ」だ。
そして当主ジャンマリア氏との昼食となった。
いま観て来た「家族の肖像画」に、ルキノと共に描かれていた少年が彼だ。
いきなり、どうしよう。まあランチだから、あと小一時間の辛抱か。
と考えたのは、間違いだった。
――わたしはヴィスコンティの作品を限りなく愛惜しています。
・・・そんな事云ったって、ちゃんと通訳してくれないだろう。
だいたい映画は、日本語タイトルと原題がなかなか一致しない。
――I LOVE VISCONTI。
するとジャンマリア氏は、「先週はBBCが、ドキュメンタリーの取材に来ていた」と笑った。
そうかこれ以上、このハナシは野暮というもの。と思い、
壁に目を遣ると、あちらこちらに「馬」の額縁。
――ヴィスコンティ家は、多くの名馬も輩出したのですね。
――スィー。フェデリコ・テシオは、「友人」です。
・・・近代競馬の父といわれる、フェデリコ・テシオが友人とは、二の句が告げない!
――イタリアからの名馬トニービンの孫たちが日本でも活躍していますよ。
なんて云って、ようやく話が廻り始めた。
美味しいリゾットや、美味しいワインで、すっかりいい気持ちとなり、
それでも、どうやらデザートに漕ぎ着けたか。と思っていると、
食後にすすめられたお酒が、この地方自慢のリキュール「ノチーノ」だった。
何だかわからないまま、一口味わうと、こってりと甘い。
それは昔の「黒玉」という黒砂糖で出来た飴玉を思い出す味だが、
強度のアルコールに導かれて、すんなりと拡がってゆく、独特の味わいであった。
「ブオーノ、ブオーノ」それしかコトバを知らないので、馬鹿の一つ覚えで、また「ブオーノ」。
すると、ジャンマリア氏はいうのだった。
――日本語で一番「汚い言葉」を教えて。
さすがは貴族だ。相手への配慮を欠かさない。
――そうですね。「BAKA」かな。
――「BAKA」ね。よろしい。と言って携帯を取り出した。
――ちょっと、待ってください。何処へ掛けているのですか。
――ちょっと、息子へ・・・。ツーツー「プロント、BAAKAA」
――なんか、あんまり「汚く」ありませんね。
――ウン。もっと「汚いコトバ」は。
――ウーン。汚いといえば「糞ったれ」というのは如何でしょう。
――「KUSO」?
――そうです。「KUSO」です。
――OK。OK。ツーツー「プロント、KUSOO TAREE!」
――・・・。
そうやって、遊んでいるうちに、気がつけば時計の針はとっくに3時を過ぎていた。
同席した二人の紳士のお役人は、これまた、われわれに関係なく、
延々と政治の話を戦わせていたことも、片方の耳で感心した。
・・・はじめて味わった、クルミのリキュール。
リストランテのジェラードにかかっているのもこれだった。
「ノチーノ」を、また味わいたいと思う時がある。
しかし「Nocino」は、あのボトルでなくてはならない。
そう思うのは、そんな思い出が絡むからだ。

2008年04月03日
■CLUBのボード新調

CLUBメンバーのボードが新調されました。
写真は昨年度までの古いボードですが、
メンバー移動に伴い、
NOZU会員担当で、リストが新調されたのです。
新リストでは、左側の「ボードメンバー」欄が一杯でしたので、
バランスを採るように、モルトグラス君とバイヤー君の札を
しんがりへ持ってゆき、バランスを取りました。
CLUBの日々のモルト調達と運営は、
HORITAさん。そしてバーテンダーに憧れる、
バイヤーのモルトグラス君等の、
そして担当アルバイト女史の、
縁の下の、いやカウンター下の奉仕で成り立っています。
・・・ボードにはそんな意味も込められています。





